初心者でも医師 非常勤
老人の立場に立ってみると、介護のたいへんさや老人医療費がかかりすぎることばかりが大きく取り上げられ、長生きしては申しわけない気分になる。
これでは元気に生きる活力もなえてしまうのではないかと思う。
それよりも老人のもっている力を、もっと生かし、心を燃えたたせて、前を向いて生きていくことを考えさせるように、あと押しをしてもらえないものだろうか。
保護や介護を必要とする老人がいるのは当然のこと。
そこだけを大きな問題にする福祉の考え方は、「保護される人」と思い込む老人をつくってしまうことになるかもしれない。
お墓まいりも体力考え、無理しない毎年四月に入ると、都合のよい日を選んで、墓地の掃除に行く。
秋と春の草むしりを欠かすと、敷き詰めた小石が見えなくなるほど草が茂ってしまうので、身内のものに車で連れていってもらい、その家族の協力できれいにしてくる。
出かけた日の東京・多磨墓地は、ちょうど桜が満開で、思いがけない人出であった。
うちの墓地のすぐ近くに、大きなしだれ桜があり、たいていその花が見られるのだが、今年の気候には花も咲き迷うのか、一枝に一、二輪が、ためらいながらという風情で花びらを見せていた。
お墓に入っている人たちは、っているわけではないが、みんな、亡くなった日は寒さの一番きびしい二月や、暑い盛りの八月といった、雪の中や照りつける炎天下のころなので、おまいりをする人のほうがまいってしまう。
生きているものの健康のほうを中心に考えても、お墓の中の人たちは、そうだそうだと賛成してくれていると思っている。
今年は、庭の雪椿とスノードロップを少しずつ折って、そのほか、野菜の花などもまぜてお墓に持っていった。
椿は夫が新潟へ行ったとき苗木をもらってきたもの。
スノードロップは、夫婦で招かれた友人のお宅の庭に咲いていたのが、あんまり美しかったので、二株ほどいただいて帰ったのが、もう二十何年、うちの庭にも咲くようになった。
お墓の中の人にも、なじみ深い花たちだから、「あら、今年もよく咲いたわね」という姑の声が聞こえるような気さえする。
私の心の中にしっかりと位置を占めているお墓の中の人たちは、私の今の体力に合わせた、無理をしないお墓とのつきあい方を、一番よく理解してくれていると思っている。
世間の習慣より、要は心の問題だと、私はお墓掃除を楽しんで帰った。
文字を書くことの効用定年退職をしてからワープロを始めたという知人が、ときどきワープロの文字で便りをくれたが、そのうち手書きに変わった。
「やはり私信は自筆のほうが味がありますね」と書いであった。
同感である。
ワープロもパソコンも、今を生きるためには使いこなす能力が必要かもしれないが、使わなくても暮らせる部分では、あえて使わない生き方も大切だと思う。
何かのきっかけで思ったこと、考えたことも、そのままにしておけば忘れてしまいがちだが、それを文字にすると、よりしっかりと頭に入る。
自分の字を見ていると、書き留めたとき何を考えていたか記憶がよみがえることもある。
それは自分の書いた字でなければあり得ないことかもしれない。
でも、親類のものが言っていた。
「ワープロに慣れて、字がへただという劣等感からやっと解放されたのに、手紙は自筆でなんて、おばちゃん、時代おくれだよ」そう言われても私はなお、書くことにこだわる。
ワープロの字でも用は足りるが、その人の個性が感じられないからだ。
私の夫は七十代に入ってから、手がふるえて字が書きにくくなった。
こんな場合、ワープロは頼りになろう。
しかし、夫は取り組もうとはしなかった。
ワープロがまだ今ほど一般化していなかったし、機械に弱かったからだが、これからの老いじたくには、こういうことも織り込んで考えておかなければなるまし。
字を書くだけでなく絵を描くのでもいい。
自分の思いを少しでも手先を通してじかに表現していくことは、頭も手も働かすことで、老化防止にも役立つに私の妹は、手紙や日記を書くのは苦手だけれど、毎日のスケジュールとか、記憶しておけないことは何もかも一冊のノートに書き込んでいる。
文章にならない日記だが、もの忘れ予防には効果がある。
不便さを補う知識集めこのごろ、地域の老人大学などに招かれて話しに行くと、会場が社会福祉関係の建物であることが多い。
そういう建物には、たいてい福祉機器といわれる品々の展示所があるので、帰りに展示品を見て回る。
今日はまだ必要なくても、明日にでも必要になるかもしれない。
体の不便を補う品については、できるだけ知識を得ておきたいためだ。
それも老いじたくの一つと私は考えている。
私たちには、こうしたものを使うことを、恥ずかしいと考えてきたところがある。
でも老いの現象がいろいろ現れたら、この高齢社会では、自分で老い込んでしまうより、元気に生きるほうが似合う。
必要なものは当然のこととして積極的に使いこなしていき、ごく普通に生活できる工夫をすべきだと思う。
食事のための器具とか、歩きやすい靴、すべり止めのついた靴下など、いくつかを買って試してみたりもしている。
九十六歳まで生きた姑のためにと、かつて私は、古いシーツやタオル類をたくさん用意していた。
当時はまだ、現在テレビのCMでよく見かけるような使い捨ての失禁パンツはなかったから、本人がそれをつけることで自尊心を傷つけられることがあった。
もちろん、今だって自分のために買うということになれば、店で選んだり、質問したりするのは、いささか気おくれするかもしれない。
でも、心の支えとして「必要になったときに」と思っているせいか、商品研究でもしている気持ちで、あれこれ見ている。
姑の介護を経験しなかったら、こういう老いじたく、今も無関心であったかもしれない。
現在すぐ必要なら、気おくれや迷いは無用だと思う。
不便さに行動の自由を奪われるほうがずっと不愉快なことだと割り切っていい。
これは、介護者の立場に立つかもしれない人たちにも、関心をもっておいてもらえたらいい、と私は思う。
火の扱いには十分注意机に向かっていて、ちょっと疲れたので、ココアでも飲もうかと思い、とりあえず牛乳を火にかけた。
別なべでココアと砂糖を練り合わせようと、ほうろうの白いミルクパンを取り上げたら、内側に線になって汚れが見えた。
読書用の老眼鏡なのでよく見えるのだ。
いやだなあ、きちんと洗ったつもりなのにと、ていねいにミルクパンを洗い始めたら、つい牛乳のことを忘れてしまった。
牛乳のふきこぼれる音にあわてて火を止めたが、すでにたっぷりこぼれてコンロは汚れてしまっている。
こういう、ちょっとした失敗は若いときからよくやったが、今は体の動きが鈍いから、火を使っているときは絶対にそばを離れない、と自分できめている。
それなのに、そばにいながら、ほかのことに注意を奪われるのは、「よろしくないぞ」と自分に言い聞かせた。
火は一番こわいから、今はだれか若い人といっしょに台所仕事をするときしか揚げものはしないことにしている。
不注意でなくても、何が起こるかわから一人では処置が不安なのである。
ガスそのものは、事故があれば自ないので、動的に止まる仕掛けにはなっているが、とっさの処置がおくれては一大事だから、万一の場合を考えてのこと。
そばにいながら牛乳をふきこぼす不注意を考えると、一層、念には念を入れて注意しなければと思う。
一方では、まあ、昔から失敗していたのだもの、という気もあるが、一人では不安のあることは、周囲へのマナーとしても、してはならないと思うので、「一人で揚げものはしない」ときめている。
食べたいときには外へ食べに行く。
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